その女性がもし男であったならきっと友達に選んだろう、 と思われるような女でなければ妻に選んではいけない。
これが男というものです。計画だけはみんな悪者ですが、 そのくせ実行となると、弱気になって、それを誠実だというのです。
恋愛においては、 恋したふりをする人のほうが本当に恋している人よりもずっとうまく成功する。
恋愛の真の本質は自由である。
愛することによって失うものは何もない。 しかし、愛することを怖がっていたら、何も得られない。
幸福はまず何より健康のなかにある。
私は私。 そのままを受け止めてくれるか、さもなければ放っといて。
死はありとあらゆる悲哀の週末なり。
結婚を尻込みする人間は、戦場から逃亡する人間と同じだ。
私の疲れた心よ。生きるということはなんと困難なことだろうか。
人間は心の底ではまったく死を嫌悪していない。 死ぬのを楽しみにさえしている。消えてゆくランプに苦しみはないのである。
我々は命あるものを、 使い古したら捨ててしまう靴や身の回りの品のように扱うべきではない。
死とは、ピクニックのとき遠くに聞こえる稲妻の音。
若いうちに自殺しなさい。そうすれば死を利用することができるでしょう。
このところずっと、私は生き方を学んでいるつもりだったが、 最初からずっと、死に方を学んでいたのだ。
もし今日の自分が 明日の自分と同じであるならば、 今日の自分は昨日の自分の奴隷にすぎない。 人間の特質はそうではなくて、 日々新しく創造的にきのうの自分を乗り越える、 そこに人間の本質がある。
怪物と戦う者は、その際自分が怪物にならぬように気をつけるがいい。 長い間、深淵をのぞきこんでいると、深淵もまた、君をのぞきこむ。
死の持つ恐怖はただ一つ。それは明日がないということである。
人生は山登りのようなものさ。 登っている間は人は頂上を見ている。 そして自分を幸せと感じるが、上に着いたが最後、たちまち下りが見える。 終わりが、死である終わりが、見える。
人間は、時には自由であったり時には奴隷であったりすることはできないであろう。 人間は常に全面的に自由であるか、あるいは常に全面的に自由でないか、 そのいずれかである。