人生とは、運命がなみなみと注がれている盃である。
人は幸福を探し始めると、たちまち幸福を見つけられない運命に陥る。 しかしこれには不思議はない。 幸福とは、あのショーウィンドウの中の品物のように、 好きなものを選んで金を払えば持って帰れるというものではない。
運命のなかに偶然はない。 人間はある運命に出会う以前に、自分がそれを作っているのだ。
地獄の沙汰も金次第。
生きることは病であり、眠りはその緩和剤、死は根本治療。
人生は一歩一歩、死に向かっている。
女子は月経に支配され、男子は月給に支配される。
私は暴力に対して一つの武器しか持っていなかった。それは暴力だ。
我々は、自ら幸、不幸をつくって、 これに運命なる名称をつける。
たった五分!畜生!私は一生を通して五分遅れ通しだった。
生きる、それはじぶんの運命を発見することである。
運命をあざ笑うものが幸運を手に入れるだろう。
心が変われば態度が変わる。 態度が変われば習慣が変わる。 習慣が変われば人格が変わる。 人格が変われば運命が変わる。
人生は、片手に幸福の黄金の冠を持ち、片手には苦痛の鉄の冠を持っている。 人生に愛されたものは、この二つの冠を同時に渡されるのだ。
人間は九ヶ月かけて生きる準備を整えるが、 人間を死に導くには一瞬の間しか必要としない。
不幸な人間にとって、死とは無期懲役の減刑である。
死はありとあらゆる悲哀の週末なり。
人間は心の底ではまったく死を嫌悪していない。 死ぬのを楽しみにさえしている。消えてゆくランプに苦しみはないのである。
死とは、ピクニックのとき遠くに聞こえる稲妻の音。
金を持っている人間は、 貧乏人がそのはかない運命を訴えることを聞くのが大嫌いである。