手の上なら尊敬のキス。額の上なら友情のキス。 頬の上なら厚情のキス。唇の上なら愛情のキス。 閉じた目の上なら憧憬のキス。掌の上なら懇願のキス。 腕と首なら欲望のキス。さてそのほかは、みな狂気の沙汰。
人間は毅然として現実の運命に耐えていくべきだ。 そこには一切の真理が潜んでいる。
真の友情は、前と後ろ、どちらから見ても同じもの。 前から見ればバラ、後ろから見ればトゲなどというものではない。
人間のうちの最高の賢者さえも、 金を取りに来る人間よりは、金を持ってくる人間を歓迎する。
三人の信用するに足る友がいる。老妻、老犬、それと貯金。
大切なのはどれだけ相手を愛するかではなく、 相手にとって自分は何かを知ることだ。
愛の表現は惜しみなく与えるだろう。 しかし、愛の本体は惜しみなく奪うものだ。
もっとも親しき友人というのは、つねに兄弟のように退屈である。
人体は自らゼンマイを巻く機械であり、永久運動の生きた見本である
愛とは相手に変わることを要求せず、 相手をありのままに受け入れることだ。
孤独は、知恵の最善の乳母である。
私は大部分の時を孤独で過ごすのが健全なことであるということを知っている。 最も善い人とでも一緒にいるとやがて退屈になり散漫になる。 わたしは独りでいることを愛する。 わたしは孤独ほど付き合いよい仲間を持ったことがない。
富は海の水に似ている。それを飲めば飲むほど、のどが乾いてくる。
金持ちの快楽は貧乏人の泪をもって購われている。
貧乏のいいところは泥棒の恐れがないことだ。
貧乏人の写真が新聞に出るのは、犯罪を犯したときに限られる。
「貧困は恥ではない」というのは、すべての人間が口にしながら、 誰一人、心では納得していない諺である。
人々はお金で貴いものは買えないという。 そういう決り文句こそ、貧乏を経験したことのない何よりの証拠だ。
夢は続いている限り現実である。そして、我々は夢の中で生きているのではないか。
幸福――他人の不幸を眺める事から生ずる快適な感覚。