貧困と希望は母と娘である。娘と付き合っていると母のほうを忘れる。
富は海の水に似ている。それを飲めば飲むほど、のどが乾いてくる。
金持ちは世界の隅々にまで従兄弟やおばさんをもっている。 貧乏人が持っている親戚は不幸だけだ。
金持ちの快楽は貧乏人の泪をもって購われている。
貧乏のいいところは泥棒の恐れがないことだ。
青春の失策は、壮年の勝利や老年の成功よりも好ましいものだ。
青年は未来があるというだけで幸福である。
もしも心がすべてなら、いとしいお金はなにになる。
もっと人生を本当に楽しめるときがいつか訪れるだろう。 その時をあなたは心待ちにしなさい。
青春ほど死の翳(かげ)を負い、死と背中合せな時期はない。
貧乏人の写真が新聞に出るのは、犯罪を犯したときに限られる。
「貧困は恥ではない」というのは、すべての人間が口にしながら、 誰一人、心では納得していない諺である。
私たちが愛する人々の幸福を願うのは当然である。 だが、自分達の幸福を棄ててまでこれを願うべきではない。
借金は愚行と犯罪の多産な母親であり、知恵の不足はその父親である。
世界全体が幸福にならないかぎりは、 個人の幸福はありえない。
人々はお金で貴いものは買えないという。 そういう決り文句こそ、貧乏を経験したことのない何よりの証拠だ。
夢は続いている限り現実である。そして、我々は夢の中で生きているのではないか。
幸福の最も大きな障害は、過大な幸福を期待する事である。
深く愛していたものを憎むことはなかなかできない。 火は消し方が悪いと、まもなく、また燃え上がる。
彼は私の北であり、南であり、西であり、東であった。 私の出勤日であり、日曜の休息であった。 私の正午であり、真夜中であり、 私のおしゃべりであり、私の歌であった。 あの愛が永遠に続くと思ったけれど、私は間違っていた。