友人が片目なら、私は友人を横顔から眺める。
愛することと愛されること。 それより大きな幸福なんて、私は望みもしないし知りもしませんわ。
男は目で恋をし、女は耳で恋に落ちる。
恋をするとだれでも自分を欺くことから始まり、 他人を欺くことで終わるのがつねである。 これが世の、いわゆるロマンスである。
残念なことに、私達は愛するものと戦わなければならない。 恋においても、母親としても。
女性はたとえ自分を愛する男が野獣のようなものであろうと、 愛され崇められれば無関心ではいられないものだ。
床の上で自分の子供の電気機関車をいじくって三十分を空費することのできる男は、 どんな男でも実際は悪い人間ではない。
女がいなかったら、男は神のように生きていくだろう。
もはや愛してくれない人を愛するのは辛いことだ。 けれども、自分から愛していない人に愛されるほうがもっと不愉快だ。
恋の火は、ときとして友情の灰を残す。
みずから苦しむか、もしくは他人を苦しませるか。 そのいずれかなしに恋愛というものは存在しない。
同じ生活を営み、 お互いに愛し合っている二人の人間が、 どの点までお互いに謎であり、 城壁をめぐらしていることができようか。
人間は今だかつて結婚に満足したことがない。 たとえ結婚する当人同士が満足していても、他の人間が満足しないのである。
18歳では即座に崇拝し、20歳では愛し、30歳では欲情し、40歳では反省する。
恋する男たちは泥棒と同様、はじめは用心するが、 次第に用心を忘れ、恋にとりつかれてしまう。
男が女を愛する第一の条件は、 その女が自分の気に入るかどうか、ということである。 ところが女にあっては、もう一つの条件がいる。 それは、自分の選択が他人に気に入られるかどうかということである。
女の口から出る「いいえ」は否定ではない。
恋と戦争においてはあらゆる戦術が許される。
真面目に恋をする男は、 恋人の前では困惑し、拙劣であり、愛嬌もろくに無いものである。
男は恋を恋することからはじめて、女を恋することで終わる。 女は男を恋することからはじめて、恋を恋することで終わる。