私の疲れた心よ。生きるということはなんと困難なことだろうか。
人間は心の底ではまったく死を嫌悪していない。 死ぬのを楽しみにさえしている。消えてゆくランプに苦しみはないのである。
我々は命あるものを、 使い古したら捨ててしまう靴や身の回りの品のように扱うべきではない。
死とは、ピクニックのとき遠くに聞こえる稲妻の音。
若いうちに自殺しなさい。そうすれば死を利用することができるでしょう。
このところずっと、私は生き方を学んでいるつもりだったが、 最初からずっと、死に方を学んでいたのだ。
人生は山登りのようなものさ。 登っている間は人は頂上を見ている。 そして自分を幸せと感じるが、上に着いたが最後、たちまち下りが見える。 終わりが、死である終わりが、見える。
人間はあらゆるものを発明することが出来る。 ただし幸福になる術を除いては。
結婚は多くの苦痛を持つが、独身生活は喜びを持たない。
人は無我夢中に急いで結婚するから一生悔いることになる。
結婚とは誰もが犯さなければならない過ちである。
幸福は夢にすぎず、苦痛は現実である。
愛はしばしば結婚の果実である。
少しの悲しみもない純粋な幸福なんて、めったにあるものではない。
朝夕の食事はうまからずともほめて食うべし。
20歳の時に理想主義者でないような者は心のない人間だ。 だが、30歳にもなってまだ理想主義者なら、そいつは頭が空っぽだ
結婚生活――この寂しい海原を乗り越えて行く羅針盤はまだ発見されていない。
世に銭ほど面白き物はなし。
与えられたるものを受けよ。 与えられたるものを活かせ。
幸福はコークスのようなものだ。 何か別の物を作っている過程で偶然得られる副産物なのだ