我々は、 幸福になるためによりも、 幸福だと人に思わせるために四苦八苦しているのである
智に働けば角が立つ。情に棹せば流される。 意地を通せば窮屈だ。兎角にこの世は住みにくい。
我々の一生の前半は親によって、後半は子供によって台無しにされる。
我々は人生という大きな芝居の熱心な共演者だ。
我々はときおり、 悪夢から目覚めた瞬間に自らを祝福することがある。 我々はおそらく、死んだその瞬間をみずから祝福することであろう。
死ぬということは、生きているよりいやなことです。 けれども、喜んで死ぬことが出来れば、くだらなく生きているよりは幸福なことです。
人間が人間として生きていくのに一番大切なのは、 頭の良し悪しではなく、心の良し悪しだ。
運命は我らを幸福にも不幸にもしない。 ただその種子を我らに提供するだけである。
話好きが暖炉に背を向けるように、 人は死と背中合わせになっている。
迷ったらダメなんだな。 人生の答えなんて、考えたって分かるものじゃない。 ただ、そのときそのときを、 ぎりぎり一杯生きている奴だけにその答えは見えてくるんじゃないだろうか。
いくら長生きしても、最初の二十年こそ人生の一番長い半分だ。
幸福というものは、一人では決して味わえないものです。
人は自分が幸福であるだけでは満足しない。 他人が不幸でなければ気がすまないのだ。
人生にはただ三つの事件しかない。 生まれること、生きること、死ぬことである。 生まれるときは気がつかない。 死ぬときは苦しむ。 そして生きているときは忘れている。
人が恋をしはじめた時は、生きはじめたばかりのときである。
情念は過度でなければ美しくありえない。 人は愛しすぎないときには十分に愛していないのだ。
死と太陽は直視することは不可能である。
人は死ぬ瞬間までも、 もしかしたら助かるかもしれないと空想し得る力を与えられている。
人生のバッターボックスに立ったら、見送りの三振だけはするなよ。
人生はただ歩き回る影法師、哀れな役者だ。 出場の時だけ舞台の上で、見栄をきったりわめいたり、 そしてあとは消えてなくなる。