独身者とは妻を見つけないことに成功した男である。
虎は死して皮を残し、人は死して名を残す。 保険に入っていれば金を残す。
今日という日を自分自身のものと呼びうる人は幸せである。 いや、彼のみが幸せである。
死ぬ前に病気にならんことを決めたよ。 ぽっくり死ぬのが一番だ。
生死などは何でもない、つまらない事柄なのだ。 ただ、生きていく態度が重要なのだ。
だって治療にはとても金がかかるよ。 だから、どうせ死ぬと決まっているなら、その金を蓄えておくほうがよい。
私たち一人一人が航海しているこの人生の広漠とした大洋の中で、 理性は羅針盤、情熱は疾風。
我々が誕生の日の受け取る人生は真の人生の前渡しに過ぎず、 真の人生は我々が一人で見つけねばならない。
失恋って、当の本人は苦しい苦しいと言っているけれど、本当は終わった恋をいつまでも思い出して楽しんでいるようなところがあると思う。本当に苦しいなら、一秒でも早く忘れる努力をするはずだから。
そなたのために、たとえ世界を失うことがあっても、 世界のためにそなたを失いたくない。
私は生きているときに、死以外のあらゆるものに対して備えをしていた。 今、私は死なねばならぬ。そして、まだなんの備えもない。
僕が死を考えるのは、死ぬためじゃない。生きるためなんだ。
金を持たずに済ますことにも、金を儲けるのと同じくらいの苦労と価値がある。
結婚は鳥カゴのようなものだ。 カゴの外の鳥は餌箱をついばみたくて中へ入りたがり、 カゴの中の鳥は空を飛びたくて外へ出たがる。
できるだけ早く結婚することは女のビジネスであり、 できるだけ結婚しないでいることは男のビジネスである。
人生はチャンスだ。結婚もチャンスだ。恋愛もチャンスだと、 したり顔して教える苦労人が多いけれども、私はそうではないと思う。 私は別段、例の唯物論的弁証法に媚びるわけではないが、 少なくとも恋愛は、チャンスではないと思う。私はそれを意思だと思う。
私が女より男を好きなのは、彼らが男であるからではない。 彼らが女でないからである。
運命は我々の行為の半分を支配し、 他の半分を我々自身にゆだねる。
私には女たちが象と同じように思える。 眺めるのは好きだが、家に欲しいとは思わない。
自分自身を幸福だと思わない人は、決して幸福になれない。