人が虎を殺そうとする場合には、人はそれをスポーツだといい、 虎が人を殺そうとする場合には、人はそれを獰猛だという。 罪悪と正義の区別も、まあそんなものだ。
生は全ての人間を水平化するが、 死は傑出した人をあらわにする。
私達の一切の悩みは、 私達が孤独で存在し得ないということから生まれてくる。
できるだけ早く結婚することは女のビジネスであり、 できるだけ結婚しないでいることは男のビジネスである。
人は、自然の悪を知ることを学んで死を軽蔑し、 社会の悪を知ることを学んで生を軽蔑する。
男というものは……家ではまったく邪魔になります!
もし神が女性に男性を支配させたいと考えていたなら、 神はアダムの頭から女性を創ったであろう。 また、もし神が女性を男性の奴隷にしようと考えていたなら、 アダムの足から女性を作ったであろう。 だが、神はアダムのわき腹から女性を創り給うた。
恋というものは心から心に至るもっとも短い道である。直線である。
女性はどこから見ても低劣であり、 女性固有の領域においても全くの無能力であるにもかかわらず、 いぜんとして女性がハバをきかしているのは、結局は男性が愚鈍だからである。
三つのものが強く女を動かす。利害と快楽と虚栄とである。
女が付属品を棄てるとどうしてこんなにも美しくなるのだろうか。
女の喜びは男のプライドを傷つけることである。
醜い女は我慢できるが、高慢な女は辛抱できない。
女は男よりも利口である。というのも、女は知ることは少なく、 理解することがより多いから。
女性が弱いというのは嘘である。 世の中に何が強いと言って、無神経な事ほど強いことはない。
女は計算が大好きだ。 自分の年齢を二で割り、自分のドレスの値段を倍にし、 夫の給料を三倍に言い、一番の女友達の年齢にいつも五を足すのである。
女は自分の美点のために愛されることにときとして同意するが、 常に好むのは、自分の欠点のために愛してくれる人のほうだ。
なぜ美人はいつもつまらぬ男と結婚するのだろう。 賢い男は美人と結婚しないからだ。
せつなる恋の心は尊きこと神のごとし
男というものは、女房が小難しいことを喋っているときより、 自分の食卓にうまい料理があるときのほうがもっと嬉しいものである。