友情のための最大の努力は、 友人に我々の欠点を見せることではない。 彼に彼の欠点を悟らせることだ。

「辛くて死にたい」というのは基本的には心の積載量オーバーなんですよ 重いものをトラックに載せすぎて壊れたらそれはドライバーの責任であってトラックの責任じゃない 何を言おうとしているのかというと 「心」っていうのは「私」と「私の体」が共有財産なんですね 自分では脳だけだと思うんですけど脳は全てボディと神経で繋がっていて案外ボディの方にも依存もしている 共有財産に過ぎないのに ついつい私たちは「心」というものを「自分の精神だけのもの」と思い込んでしまう だから、鉄分が不足したらイライラするだけなのに「イライラするのはあいつが何かしたからだ」って思っちゃうんですよ そうかもしれないけどもそれ以前に鉄分が不足しているだけって可能性もあるんですよ ここ忘れちゃうんですね 寝不足というのは無気力になりますしね 「心は精神的なものである」と同時に「物理的な存在でもある」 この物理的な存在というのをついつい僕らは忘れてしまうから根性論みたいなもので乗り越えようとしちゃうんです

「幸せって何だとお思いですか?」って皆さんに聞くと 「えっ? ”幸せ”は幸せでしょ」 分析したことがなくて、ただ漠然と「結婚します」「お幸せに」「幸せになってください」 幸せって一度手に入れると、固形物みたいにずっとなくならないものだと錯覚を起こしていらっしゃるの。 『青い鳥』っていうメーテルリンクの名作ありますね。あれは青い鳥は捕まえたら、消えていっちゃうんですよ。 幸せっていうのは ”充足感のこと” 満ち足りた想い。 だから幸せっていうものは長続きしないものなんですよ。 それをずっと手元に置いて長続きさせるにはどうしたら良いかって言うと、 感謝することを探せば良いんです。 感謝することに全部切り替えてゆけば、いつでもどこでも幸せになれる。 これが永久に続きますよ。 だから幸せを手元に置いてずっと「幸せでいられる」って言うのは 感謝すること それを探せば良いんです。