人問は毅然として現実の運命に耐えていくべきだ。 そこに一切の真理がひそんでいる。
財産は来るもので、作るものではない。
他の富めるをうらやまず、 身の貧しきを嘆かず、 ただ慎むは貪欲、 恐るべきは奢り。
正しかろうが間違っていようが、 自分らしく生きよ。 安易に服従してしまう臆病者よりずっと立派だ。
彼が夕食に遅れるときは、 浮気しているか死んで道端に転がっているかのどっちかなのよ。 道端でくたばっているほうがいい、といつも思ったわ。
己の感情は己の感情である。己の思想も己の思想である。 天下に一人もそれを理解してくれる人がなくたって、 己はそれに安んじなければならない。 それに安じて恬然としていなくてはならない。
彼は人なり、我らも人なり、我何ぞ彼を畏れんや。
誰でも死ななくちゃいけない。 でも私はいつも自分は例外だと信じていた。 なのに、なんてこった。
死ぬ前に病気にならんことを決めたよ。 ぽっくり死ぬのが一番だ。
借金を返すということは収入の問題ではない。性質の問題だ。
生死などは何でもない、つまらない事柄なのだ。 ただ、生きていく態度が重要なのだ。
私は神に会う覚悟はできている。 私と会見するという厳しい試練への準備が神の側でできているかどうかは別問題だが。
生きたいと思わねばならない。 そして死ぬことを知らねばならない。
僕が死を考えるのは、死ぬためじゃない。生きるためなんだ。
人生における無上の幸福は、自分が愛されているという確信である。
人が虎を殺そうとする場合には、人はそれをスポーツだといい、 虎が人を殺そうとする場合には、人はそれを獰猛だという。 罪悪と正義の区別も、まあそんなものだ。
人生はチャンスだ。結婚もチャンスだ。恋愛もチャンスだと、 したり顔して教える苦労人が多いけれども、私はそうではないと思う。 私は別段、例の唯物論的弁証法に媚びるわけではないが、 少なくとも恋愛は、チャンスではないと思う。私はそれを意思だと思う。
私が女より男を好きなのは、彼らが男であるからではない。 彼らが女でないからである。
女性はどこから見ても低劣であり、 女性固有の領域においても全くの無能力であるにもかかわらず、 いぜんとして女性がハバをきかしているのは、結局は男性が愚鈍だからである。
自分自身を幸福だと思わない人は、決して幸福になれない。